有田焼のはじまりは、豊臣秀吉の朝鮮出兵の時代。 佐賀藩が捕虜として連れ帰った陶工の李参平が有田の泉山で白磁鉱を発見し、磁器を焼いたのが始まりです。 陶工たちは李朝様式から中国様式・染付・白磁・青磁といったさまざまな手法を日本に伝えました。正保3(1646)年に酒井田柿右衛門が、赤、緑、黄などの絵の具で文様を描く赤絵付けに成功、日本初の色絵磁器を生み出します。
古伊万里はヨーロッパの王侯貴族を中心に広がり、宮殿を装飾するインテリアとして用いられました。マイセンなど多くの磁器に影響を与えたと言われます。日用食器から観賞用の美術品まで揃えた品揃え、白く美しい磁肌、華やかな絵付、使いやすさ、高い耐久性でたくさんのファンを魅了し続けています。 ちなみに有田焼が伊万里焼、古伊万里と呼ばれた理由は、有田で作られた製品が伊万里港から積み出されたためです。