陶土の里、塩田の歴史

陶土の町塩田。川の恵みで発展した町

弊社がある佐賀県嬉野市塩田町は、長崎街道の宿場町として古くから栄えたところです。
そして陶土の製造場所としても栄えた町でした。
それは、町を流れる塩田川の豊かな流れのおかげです。
塩田川の豊かな流れが、川港として町を発展させました。
かつては水陸交通の要だったのです。
有田焼の原料である陶石も天草から舟でこの塩田まで運ばれ、有田へと運ばれたのです。
塩田川の豊かな水流を利用し、様々な産業が発展します。
その一つとして水車を使った陶土の製造が発展します。
弊社もその一つでした。

川の水を利用し水車を使った陶土製造業が発展

物資の集散地である川港として発展した塩田には川の水を利用して水車がたくさん作られました。
そこで天草から運ばれた陶石を砕き陶土が作られていました。
当時塩田川沿いは水車がたくさん並んでいたと聞いています。
弊社も当時は水車を使って陶土を作っていたんですよ。
その後昭和20年代後半から水車はモーター式になり、電力の普及によって機械化され、現在に至ります。
そのため、今でも塩田川沿いには弊社をはじめ、陶土製造の工場が残っています。

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