渕野陶磁器原料の渕野直幸です。
ブログ引っ越しを機にもうちょっとまめに書いていこうと思います。
ここ佐賀県塩田町(現 嬉野市)で祖父の祖父が、
やきものの粘土を作りはじめて以来130年ほどになります。
われわれも含め、この地で陶土業がはじまったのは江戸時代終わりから明治はじめごろのようです。豊臣秀吉の朝鮮出兵後、有田で泉山陶石が発見され、それを原料に磁器が作られるようになります。それが1616年といわれ、来年2016年は有田焼が出来てちょうど400年の節目の年にあたります。有田焼創業以来300年ほどはもちろん泉山陶石が原料であったわけですが、その原料も明治になってからはだんだんと天草陶石に代わっていきます。それがわれわれ陶土を製造することを生業とする者がこの地に増えていくきっかけだったわけです。
伝統的な磁器土の素は、陶石と呼ばれる石です。この石だけを用い、砕いて粉にし、水簸(すいひ)という工程を経て粘土を作ります。砕くのに使うのがキネとウスです。昔は水車が動力源でした。現在は電気でモーターを回して動かしますが、スタンパー(キネとウス)を使う変わらぬこの製法がこの地域の焼き物の原料の特徴的なものとなっています。
私で5代目になります。小学生のころには後を継ぐつもりでした。反発することなくすんなりと。もの心ついた頃にはすでに「お前は後継ぎだ」と祖父母からは言われていましたし、中学生になると「東工大か名工大、どちらかの大学に行きなさい」と父は言っていました。
父自身が苦労した経験から「これからの時代、きちんとした知識・技術を身に付けた上での土づくりをしなければならない」と日ごろから口にしていました。結果として、その先見の明はすごく当たっていたと思います。
地元の普通高校を出て、名古屋工業大学へ進むことになるのですが、そこで当時先端のセラミックスの研究の場に身を置き、知識を身につけたこと、そしてそこでのつながりが今でもすごく役に立っています。自分なりに学ぶ中でいろんなことがわかり、陶芸に関するアドバイスなどもできるようになりました。それでもやはり先人の知恵には驚くばかりです。
これからも昔ながらの伝統は守りつつ、そこだけに留まらず新しい分野に向けての挑戦もしていきたいと思います。
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